痴呆症、とりわけアルツハイマー病の理解のために避けては通れない「記憶のメカニズム」について、おおよそ輪郭をつかんでいただけたと思います。次に、そのメカニズムを担う基本単位であるニューロン、つまり脳細胞そのものの特性について調べていくことにしましょう。
私たちの体は、約60兆個の細胞からできているといわれています。そのなかでも、脳細胞は他の細胞と比べ、著しく異なった性格を持っています。
まず最大の特徴は、脳細胞は「再生しない」ということです。つまり脳細胞は、細胞分裂をする能力を持たない「非分裂細胞」なのです。脳を形づくっている細胞には、脳細胞(神経細胞)、グリア細胞、血管内皮細胞があり、その総数は約140億個といわれていますが、そのうちの数パーセント、約4、5億個ある脳細胞だけが分裂する能力を持っていません。脳細胞は胎生期にはさかんに分裂をし、増えつづけますが、出生後は二度と細胞分裂をしないので、もう増えることはありません。一生使いつづけなければならない細胞という意味で、「終末細胞」とも呼ばれています。
皮膚などの組織や肝臓などの臓器では、細胞が古くなって死ぬと、すぐに細胞分裂を行い、再生して新しい細胞と入れ替わり、リフレッシュすることができます。たとえば、事故や病気などで組織や臓器の一部の細胞が死んでも、その原因を取り除きさえすれば、生き残った細胞が細胞分裂を行い、死んでなくなった細胞を補って、組織や臓器を新たに再生することができます。これに対して脳の場合は、何らかの原因で脳細胞が死んでしまうと、その原因を取り除いても、死んでなくなってしまった細胞の跡はそのままで、補われることはありません。
このように、脳細胞が細胞分裂をしないということは、脳の老化やアルツハイマー病などによって一度死んでしまった脳細胞は、二度と再生しないことを意味しています。仮に、急激に来る脳細胞死を抑えて、脳の老化やアルツハイマー病の進行を抑制することができたとしても、すでに死んでしまった細胞を再生して元に戻すことは不可能なのです。すなわち、アルツハイマー病に侵された人間は、脳が侵されるだけではなく、その先には確実に死が待っているということになってしまいます。
現在、アルツハイマー病に関しては特効薬と呼べる薬は存在していません。しかも、脳細胞自体が非分裂細胞であることを考えると、なくなった脳細胞を新しく再生させて、脳の働きを完全に元に戻すことは、将来的にみてもひじょうに困難なことと考えざるをえません。すなわち、アルツハイマー病は、なってからでは遅い、「未病」の段階で治しておかなければならない病気だということです。
ただし、脳細胞は再生しない代わりに、他の細胞と違ってひじょうに長生きするという特徴もあります。皮膚の表皮細胞の寿命は約28日、胃の粘膜上皮細胞の寿命は約3日といわれていますが、脳細胞のなかには100年以上も生き長らえるものがたくさんあります。これは、人は100歳以上生きられる裏付けともいえるでしょう。
以上、岡山大学 医学博士 大山博行著 「脳を守る漢方薬」より引用
詳しくは、光文社カッパブックス「脳を守る漢方薬」を御一読ください。