不老長寿と漢方薬(2)

不老長寿と漢方薬(2)

神秘の霊薬人参

人参の歴史

人参は古来より東洋で愛用されてきた。
西洋では東洋でいう「人参」が知られていなかったため、赤く甘い根を人参と呼んだ。
甘い根はセリ科の植物、東洋でいう人参はウコギ科の植物で全く違う種である。
人参の中でも高麗人参が最貴重品として昔から珍重されてきた。

中国の皇帝に献上される最上品は朝鮮産高麗人参であった。
また朝鮮時代には高麗人参が最高級の貿易品で、朝鮮の高麗人参と中国の名物である絹織物と物々交換された。
人参は地域、土壌または気候によって品質が異なり、朝鮮産高麗人参を最高品として認めた。

韓国の錦山が人参の最大栽培地であり、全生産量の70~80%が集散される最大集散地である。
またここに錦山人参の伝説が残る。

人参の伝説

1500年前、錦山邑南夷面城功里部落に姜姓の在野の学者(士人)がいた。
姜氏は親孝行であったが、父親は既に亡く、母親と二人で貧相な暮らしをしていた。
ある日、母親が動くことができないほどの重病を患い、苦しんでいた。
色々とよい薬を使っても母の容態は徐々に悪化し、治らないため、悩んでいた姜氏は錦山の名山である進楽山の観音窟で、
母の回復を祈って百日祈とう祷を行った。
ある日、夢に仙神霊があらわれ、
「進楽山の観音峰の岩壁に行くと赤い実が3つついている草がある。その草の根を煎じて湯にして飲ませれば、母の病気は治り、君の願いは通ずる」
と言われたため、姜氏は不思議に思い、翌日の早朝、夢でみた岩壁へ行くと、赤い実が3つついている草があったので、その根を掘り、煎じて湯にして母に飲ませると、母の病気は全快した。
その草は参(山参)であった。
姜氏はその種子を庭に植え、根が人間の形をしていることから、参を人参を名付けた。
その後、錦山が人参の栽培地を最大集散地になったとの伝説がある。
そのため、人参を霊薬とも呼んでいる。

栽培について

植物あるいは穀物等の農作物は、田や畑に植えて毎年収穫するが、人参は1回の栽培期間が4~6年を要する。
人参を収穫した後10~15年は、人参をはじめ、どのような農作物も栽培できない。
その畑は空畑となり、堆肥等で土を肥やすと、穀物等の栽培が可能になる。
それほど人参は土の栄養分を要求するものなのである。
また人参は何処でも栽培ができるものではない。
地域、土壌、気候等によって、人参の品質が異なる。
著者は若い頃、『加賀藩の秘薬』という本を著した薬学者であり、薬史学者でおられた三浦孝次教授から生薬の活性を学ぶための薬理学を伝授された際、高麗人参に関するお話をお聞きしたことがある。

江戸時代に長野県で人参を栽培していた藩役が、開城高麗人参の種子とその栽培法を得るために、ある者に変装し、長野県を出発して朝鮮元山を経由し、開城に到着して何とか人参畑での仕事についた。
3年間一生懸命に仕事をしたことにより、種子と栽培法を得て長野県に帰り、長野県でも現地と同じ高麗人参が、元々栽培していた長野人参と同じような人参になってしまった事があった。
それほど人参は成長条件に敏感な農作物ともいえる。