さて、私たちが経験すること、目で見たことや聞いたことなどの情報は、感覚器からのインパルス(電気信号)として脳に入ってきます。そして脳に入ったインパルスは、ニューロンからニューロンへシナプスを介して伝わっていきます。このインパルスが脳の複数のニューロンのネットワークを循環するようになり、ある一定の時間この循環が持続することが「短期記憶」となるわけです。そして、このインパルスの循環が持続している間に、ニューロンのネットワークの中のシナプスになんらかの構造や物質変化が生じるようになり、インパルスの循環が終わっても、このインパルスによる特定の記憶(情報)に対応した特定のパターンのニューロンのネットワークを脳内に残すことになります。すなわち、これが「長期記憶」と呼ばれるものです。
また、新しいことを学ぶと、その際に新しいシナプスが脳の中に形成され、シナプスが形成されれば、それはある程度長期間にわたって保持されるので、これも長期記憶となります。さらに、長期記憶にともなって、樹状突起部にシナプスのトゲのような部分の形が変化し、シナプスでの情報が通りやすくなり、それが長期間保たれるということもあります。すなわち、記憶の痕跡とは、ニューロン・ネットワーク中のシナプスの可塑的変化ということになります。このシナプスの「可塑的変化」という観点から、記憶の過程をもう一度整理してみましょう。
まず、インパルスが入った脳のニューロンのネットワーク中でのインパルスの循環や伝達が一定時間続き、自然に消滅していくまでの過程が「短期記憶」の成立です。これが記銘(ものごとを覚える)の始まりになります。
そして、多数のインパルスが短時間のうちに繰り返して通ると、そのシナプスは信号を伝えやすくなります。この信号の伝えやすさが物質の変化によって固定されれば、インパルスの循環が消滅した後でも、このネットワーク中のシナプスは、ネットワーク外のシナプスより信号が伝わりやすい状態で残されることになります。これが「長期記憶」の成立であり、「記銘」に当たるというわけです。
次に、このネットワーク中のシナプスの潜在的な伝わりやすさによって、特定のニューロンのネットワークのパターンが保たれることが記憶の「保持」になります。また、記銘されていた特定のニューロンのネットワークを再生することが「思い出す」という機能にあたります。
さらに、シナプスの伝わりやすさを保つ物質変化も可逆的、つまり元に戻りやすいものになっているため、そのシナプスが使われないまま放っておかれると、時間が経つにつれて元の状態、普通の伝わりやすさに戻ってしまいます。すると、あとからこのインパルスが入ってきても、もうこのネットワークを再生することができなくなります。これが「忘却」(物忘れ)ということになります。
じつは、私たちが経験したことの大部分は、このように自然に、あるいは無意識のうちにすぐに忘れ去られてしまいます。しかし、適当な時間をおいて記銘を繰り返すことで、ニューロンのネットワークの伝わりやすさを保持できるように努力すれば、忘却を防ぐことが可能になるわけです。
以上、岡山大学 医学博士 大山博行著 「脳を守る漢方薬」より引用
詳しくは、光文社カッパブックス「脳を守る漢方薬」を御一読ください。