この章のテーマである「脳の老化とは何か」の核心に入っていくことにしましょう。それが「廃用性萎縮」による脳細胞の脱落とも異なることも説明したいと思います。
55ページの図4を見てください。この図は、ある人の脳の中でABCDEとう5個の神経細胞がお互いに突起を伸ばし、シナプス結合して情報伝達経路を作っている状態を表しています。実線はよく使う情報伝達回路を意味し、点線はほとんど使わない情報伝達回路を表わしています。この人は日常生活において、ABC間やAD間の情報伝達回路をよく使っていますが、AE間やDC間はほとんど使わない状態で日常生活を送っているということを示しています。(①)。 この人が、このまま日常生活を続けていけば、まず第一に「廃用性萎縮」によってEの脳細胞が脱落します。しかし、この状態では日常生活には表面的な支障は何も出てきません(②)。 ところが、普段よく使っている情報伝達経路の中で脳細胞の脱落が起こったらどうでしょう。たとえばBの脳細胞が脱落したとします。(③)。すると、この人が日常生活を続けるうえで必要なAC間の情報伝達回路が閉ざされてしまいます。その結果、ある日突然、取引先の会社の担当者の名前が思い出せないとか、常識的な英単語の意味や漢字が書けない、というようなことが起きてきます。これが「良性健忘」であり、老化現象の一つというわけです。 しかし、この人は、AC間の情報伝達を頻繁に使っていたので、ABCという回路が頻繁に使われている場合にも、この回路の補佐として、DC間が連結していたりします。このような場合は、Bの脳細胞が死んで脱落しても、使い慣れたABC回路よりも、やや情報伝達のスピードは遅く(いわゆる頭の回転は悪く)なるものの、ADCの形で情報伝達回路を再開できることになるわけです(④)。この過程が「脳の老化」ということになります。
もちろん脳の神経細胞の情報伝達回路は、実際にはこんなに簡単で単純なものではありません。これは、廃用性萎縮による脳細胞死と老化による脳細胞死の違いを説明する1つのモデルとお考えください。
つまり、脳の老化とは、「自然に脱落する脳細胞の数(自然細胞死のスピード)が、正常の域を超えて増えすぎた結果、日常生活に必要な脳細胞までもが脱落し、死滅しはじめる過程」を指すのです。脳の老化現象は、正常な神経線維回路網(神経情報伝達ネットワーク)の乱れとしてとらえられますが、分子細胞レベルでは「脳細胞の硬化」として確認でき、顕微鏡的には「老人斑」の出現、肉眼的には「脳の萎縮」になります。そして症状的には痴呆として現れてきます。簡単に言えば、脳細胞が老化すると細胞が硬くなり、シミができ、小さくなり、ボケるということです。
X線CT(コンピュータ断層撮影法)を使って生きたままの人間の脳を輪切り状態で観察し、脳の萎縮を調べたデータによれば、30代半ばあたりから人間の脳の萎縮は加速度的に進行して、80代では20歳時の約90パーセントにまで萎縮していることが明らかにされています。これにともない、大脳皮質の血流量も低下することが知られていて、健康な老人の脳では72パーセントにまで低下していることがわかっています。しかし、アルツハイマー病患者の大脳皮質の血流量は、健康な成人の50パーセント以下にまで低下してしまいます。
ここで、もう一度図4を見てください。脳細胞死がB細胞だけで済んでいる間は、他の脳細胞で代わりをつとめることができます。ところが脳細胞死が加速され、もしD細胞にも及んだらどうなるでしょうか。D細胞だけでなく、さらにA細胞とC細胞にまで及んでしまったらどうなるでしょうか。これらの重要な脳細胞を取り囲むまわりの脳細胞がいくら頑張っても、もはや途切れてしまった情報伝達回路は再開できなくなってしまいます。
以上、岡山大学 医学博士 大山博行著 「脳を守る漢方薬」より引用
詳しくは、光文社カッパブックス「脳を守る漢方薬」を御一読ください。